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トレンドを読む(久保田 啓介)

ネット授業で人材囲い込みに動く米国  (2013.11.30)


 東京大学が9月から、米国のオンライン教育サイトを経由して授業を世界に発信するサービスを始めた。「大規模公開オンライン講座」(MOOCs=ムークス)と呼ばれるこのサービスは、国籍や年齢を問わず多くの人が大学の授業を無償で受けられる点が注目されている。だが、そのインパクトは教育機会を広げることだけにとどまらない。米国の有力企業はこれを利用して人材の獲得競争に動いている。日本も対応策を考える必要があるだろう。
 「一流大学の有名教授の授業を誰もが無償で受けられる」「大学にとっては国際的な知名度を高める手段になり、優秀な留学生集めにつながる」――。東大がMOOCsで授業配信を始めたニュースについて、日本のメディアはもっぱらこの2点から報じていた。それ自体は正しい認識で、実際、MOOCsは大学教育を大きく変革する力を秘めている。
 MOOCsの最大手である「コーセラ」は2012年春、米スタンフォード大の教官2人がベンチャー企業として立ち上げた。これにコロンビア大など有力大学が続々と加わり、講義のネット配信を開始。それからわずか1年半で参加大学は世界87校、講座数450、受講者480万人(9月中旬時点)を突破。同様の配信サービスとしてマサチューセッツ工科大(MIT)とハーバード大が設立した「エデックス」、スタンフォード大の「ユダシティ」なども参入し、受講生は急拡大している。
 MOOCsは教育効果の高さでも注目されている。米国の参加大学の間では、オンライン講義を学生にもっぱら「予習」として受講させ、教室での授業は討論や対話を重視して応用力を磨く場とする動きが広がっている。「反転学習」と呼ばれるこうした授業形態は、学生の理解度や展開力を高めることが実証されつつある。これが広がれば、十年一日のごとく同じ講義を繰り返すだけの教員は淘汰され、大学側の意識改革につながる期待も大きい。
 東大も今年2月にコーセラへの参加を決め、素粒子論で著名な村山斉・特任教授による「ビッグバンからダークエネルギーまで」など2科目を英語で配信し始めた。スタート段階で登録者は3万8000人、その99%は米国やインド、ブラジルなど外国人が占め、「東大の国際化戦略に役立てる」という大学側の思惑通りの滑り出しと言える。
 一方、日本ではあまり報じられていないが、MOOCsは米国ならではの「したたかさ」も併せ持つ。
 米国のMOOCsは授業を無償で配信する代わりに、人材紹介で稼ぐビジネスモデルに立つ。膨大な学生の受講履歴や成績を「ビッグデータ」として集め、企業に優秀な学生の就職を仲介して収益を得る仕組みだ。「電子回路」、「コンピューター科学」、「金融工学」など特定の科目で抜群の成績をあげた学生を選別して採用すれば、企業はほしい人材を労なく獲得できる。実際、エデックスなどは米グーグルやアマゾン、大手金融機関などと提携、すでに多数の仲介実績をあげているとされる。
 日本の大学が米MOOCsを使えば受講者のデータをすべて握られ、優秀な日本人学生が米企業に囲い込まれかねない。実際、英語力がありグローバル志向が強い日本人学生ほどMOOCsの受講意欲は高く、そうした学生が米企業に“一本釣り”される日が来るのは時間の問題だろう。米国と同じ英語圏であるイギリスでは、そうした状況に危機感を強め、米MOOCsに対抗するオンライン講義のプラットフォームづくりに動き始めた。
 日本に対応策はあるのか。10月に、「日本版MOOCs」の設立に向けた産学の協議会が発足した。日本の国公私立大学のほか、アジアの新興国などの大学にも参加を呼びかける案だ。「素材やロボット、ものづくりの基盤技術など、日本が優位を維持している分野はまだ多い。日本語で配信するのでは米MOOCsに勝ち目はないが、最新の機械翻訳技術で英語にして配信すれば、世界から一定の受講者を集められる」と関係者はみる。コーセラなどは今のところ参加を各国のトップクラス5大学程度に絞っている。それを逆手に取って日本版MOOCsの門戸を広く開放すれば、巻き返せる余地はあるという見方だ。
 だが、国などの動きは鈍い。安倍政権が6月にまとめた成長戦略は「教育再生」を柱のひとつに掲げ、大学の国際競争力強化を目標に掲げたが、その具体策は留学生の受け入れ拡大など旧態依然の施策にとどまった。IT(情報技術)企業など国内の関連企業の関心も高いとは言えない。
 MOOCsは教育機会を広げ、大学改革を促す「光」の部分だけでなく、グローバル化(英語の共通語化)が進む中で少数言語・文化の多様性をどう維持するかなど、様々な課題を投げかけている。したたかに人材獲得を目指す米国のビジネスモデルは、その一面に過ぎない。こうした多様な側面について、日本の大学だけでなく企業を含めていかに認識を広めるか、まずそこから始める必要がある。

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